本の旅

トロイア戦争と言えばホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』だが、これらはむしろそのごく一部しか描かれてはおらず、一部始終となるとある程度までならたいていのギリシア神話にはあるが、詳細を描いた文献で、本来の伝承に忠実で、今日まで残存してて、しかも和訳されてるとなるとコルートス、トリピオドーロス、クイントゥス、そしてピロストラトス・・・いずれもローマ時代の再話作家だ

講談社学術文庫の『ヘレネー誘拐・トロイア落城』

『ヘレネー誘拐・トロイア落城』

  • 訳者まえがき
  • 凡例
ヘレネー誘拐〔コルートス / 松田治訳〕
  1. ペーレウスとテティスの結婚
  2. 黄金の林檎
  3. イーデー山に向かう三女神
  4. パリスの判定
  5. スパルタを目ざすパリス
  6. 誘惑されるヘレネー
  7. 捨てられた娘ヘルミオネー
  8. まぼろしの母
トロイア落城〔トリピオドーロス / 松田治訳〕
  1. 十年戦争の浮き沈み
  2. エペイオス、木馬を作る
  3. オデュッセウスの作戦解説
  4. 木馬に乗りこむ戦士たち
  5. テネドスに対する船団
  6. シノーンの謀略
  7. トロイアの城塞へはこばれる木馬
  8. カサンドレーの空しい叫び
  9. 木馬にささやくヘレネー
  10. 合図を送るシノーンとヘレネー
  11. 殺戮の夜
  12. メネラーオスとヘレネーの再会
  13. 死ぬ者、生き残る者
  14. 終戦
  • 訳者あとがき
  • 索引

タイトル通りにコルートスの『ヘレネー誘拐』と、トリピオドーロスの『トロイア落城』が1冊に収まってるのだが、トロイア戦争のきっかけとなった【パリスの審判】と、トロイア陥落の作戦であった【トロイアの木馬】、この2つの最も有名なエピソードについての詳細を知るコトができて、解説を含めて143ページとお手軽だ

但しこれらは5~6世紀にエジプト人によって書かれたモノなので、時代の変遷を経て付け加えられたのであろう間違い(勘違い)と思しき部分もあり、特に『ヘレネー誘拐』では大筋の設定自体がおかしい

なんせ【パリスの審判】の数日後にパリスがヘレネを訪ねてて、そのまま駆け落ちしてしまってるのだ、【パリスの審判】からパリスとヘレネの駆け落ちまでには、少なくとも10数年が経過してなくてはマズイ

なぜなら【パリスの審判】はアキレウスの両親の結婚式の直後の話で、この時点ではまだアキレウスは生まれてなくってよ

それなのにパリスとヘレネの出会いの時に、ヘレネが「アキレウスの武勇を知ってる」ってありえんて!無理してこの物語に辻褄を合わせると、【パリスの審判】はアキレウスの両親の結婚式から10数年後で、その間、3柱の女神らは金の林檎を巡って延々といがみ合っていたコトになる

そうでなくてもトロイア戦争が初陣で、それまで女装をして身を隠してたアキレウスなので、「武勇」なんてモノがギリシア全土に伝わりようがなかろう

もう1つの『トロイア落城』の方は、『イリアス』と『オデュッセイア』の間隙を埋める話で、つまり「ヘクトルの死後以降のトロイア戦争の成り行き」がわかるが、特筆すべきはやはり【トロイアの木馬】のエピソードで何よりも詳述されてる

換言すれば、その描写は緻密過ぎて、「弁慶の握ったこぶしはこのくらい」と握って示す講釈師の語り草のようで、講釈師 見て来たような 嘘を言い、なんて川柳を思い起こさせるが、臨場感溢れる筆致は嫌いではなく、むしろ好きなので許す

まあ自分にはエジプト人によって書かれたギリシア文化の本として、アレクサンドロス大王が齎したヘレニズムの影響力をおおいに感じられるのも嬉しい♪

講談社学術文庫の『クイントゥス トロイア戦記』

トロイア戦記〔クイントゥス / 松田治訳〕
  • 訳者まえがき
  • 凡例
  1. アマゾーンの女王ペンテシレイア
  2. メムノーンの悲運
  3. アキレウスの最期
  4. アキレウス追悼の競技大会
  5. アイアースの自殺
  6. エウリュピュロスのトロイア来援と勝利
  7. アキレウスの嫡子ネオプトレモス
  8. エウリュピュロスの死
  9. 戦線復帰するピロクテーテース
  10. パリス散華
  11. 獅子奮迅のアイネイアース
  12. 木馬作戦
  13. トロイア陥落
  14. ギリシア軍の帰国
  • 訳者あとがき

これはこの『トロイア戦記』なるタイトルに語弊があるコトと、アキレウスの死に様に自分はどうも納得が行かないのだが、それ以外は古典に忠実なので気に入ってる

訳者の松田治の「まえがき」によれば、この作品には元より決まったタイトルがついてなかったのだが、『ホメーロスの続き』とか『ホメーロス以降のことども』などと称されてたそう

より正確には「ヘクトール没後のトロイア戦争の物語」となろうが、これも間延びするので本訳書では『トロイア戦記』とした次第である。

いや、タイトルは多少冗長になっても中身を反映してる方が好くね?英語版Wikipediaでは『Posthomerica』とあった、なるほど!そのまま『ポストホメリカ』にしてくれてて副題に、「ホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』の間」とかしてくれてればな~

『トロイア戦記』のタイトルで本文444ページもあれば、スパルタ王妃レダの産んだ卵から始まるトロイア戦争の全般に渡る物語か、もしくは【戦記】なので戦争の部分に絞ってだとしても、『イリアス』より以前のアキレウスの出征くらいから終戦までとか、とにかく他ではなかなか読めない部分がてんこ盛りに入ってると思い込んでしまう

実際にはまさしく『イリアス』の続きで、ちょうど前述のトリピオドーロスの『トロイア落城』と被り、アキレウスとアマゾンの女王ペンテシレイアとの戦いや、そのアキレウスの最期と追悼競技の様子、オデュッセウスに敗れたアイアスの自殺と悲嘆にくれる妻テクメッサ、パリスの最期「パリス散華」、アエネーアース(本文中アイネイアース)の活躍ぶり、オデュッセウスの【トロイアの木馬】作戦、そしてトロイア陥落後に生き残った登場人物の行く末が、444ページのヴォリュームなのでどこよりも詳しく描かれてて圧巻なのだが、あくまでも『イリアス』後『オデュッセウス』までなのである

作者のクイントゥスは3世紀頃の小アジア(スミュルナ)の詩人なので、当然ながらフィクションの部分も多いのだろうが、話の辻褄は合ってて隙がない上に心理描写も的確と思えるので、この人に脚本を書かせた映画を観てみたいものだわ

それにしてもトロイア戦争の世界観に浸ってると、絶世の美女ヘレネの悪女ブリと、にもかかわらず決して咎められないトコロに、つくづく世の男たちが美女に甘いコトを痛感するね

平凡社ライブラリーの『ピロストラトス 英雄が語るトロイア戦争』

英雄が語るトロイア戦争〔ピロストラトス / 内田次郎訳〕
  • 本篇の会話が行なわれる時と場所
  • 主要な登場人物について
  1. 二人の挨拶、ぶどう園主の生活ぶり
  2. プロテシラオスとの交流と彼の守護
  3. 巨大な英雄たち(の遺骨)について
  4. プロテシラオスの墓と神殿、その外見や行動等
  5. 他の英雄霊たちの行動
  6. 大アイアスの霊のこと
  7. ヘクトルの霊の振舞い
  8. ふたたびアイアスの霊のこと
  9. パラメデスの墓
  10. アキレウス等の霊のこと
  11. ミュシアでの戦い
  12. ホメロスの創作について
  13. トロイア戦でのギリシア将たち
  14. パラメデス(とオデュッセウス)のこと
  15. オデュッセウスの人物像
  16. トロイア戦での大アイアス
  17. ヘクトルらトロイア人たちの戦争中の行動等
  18. ふたたびホメロスについて
  19. 生前のアキレウスのこと
  20. アキレウスの死とその墓
  21. アキレウスへの供儀
  22. レウケ島でのアキレウスとヘレネ
  23. アマゾン族の来襲とアキレウスによるその殲滅
  24. 結部
  • 解説

著者のフラウィウス・ピロストラトスはレムノス島出身のギリシア人で、2世紀後半~3世紀の半ばまで生きた人

タイトルの『英雄が語るトロイア戦争』の英雄とはプロテシラオスで、トロイア戦争が始まって最初に戦死したギリシア勢の将だが、この物語は著者ピロストラトスの時代にとあるフェニキア人が旅をしてて、トロイア北方のエレウスにてぶどう園に立ち寄りそこの主人を介して、英雄プロテシラオスの霊によって明かされたトロイア戦争秘話を語られる設定だ

トロイア戦争当時、既に死者であって、要するに誰に肩入れしてるでもなくなった英雄によって公平に見た、アキレウス、オデュッセウス、アイアスなどの英雄らの人物像が浮き彫りにされるのだが、これが自分の予想と合致してたので嬉しくなった

またトロイアへの第一陣が目的地に辿り着けずにミュシアに上陸した際の話や、パトロクロスのためにアキレウスが髪を切った、とか、後にアレクサンドロス大王がテッサリアを征服した際には、プティアだけはアキレウスに意を示して手をつけなかった、とか、フツーに蔑ろにされがちな、でも自分にとっては重要な逸話が鏤められてて、トロイア戦争関連書籍でかつてこれほど満足感を得たモノはなかった

逆にブラピの『トロイ』しか知らなくて読むと、映画から抜け落ちてる部分ばかりなので何のコトやらさっぱりで、最も意味不明な1冊であろうがね

いつかトルコを訪ねた時にはこのフェニキア人の旅人のように、ぶどう園でトロイア戦争を語り合えたら・・・と夢を見出だしてしまった!!ディオニュソスの庇護の下に人生を再スタートさせねばな!