本の旅

世界一の美女ってのはこんな女だろうと溜飲が下がる『黒のヘレネー』

トロイア戦争ヲタでアレクサンドロス・パリス好きなのと、クリュタイムネストラ贔屓なのとで、どうもヘレネーに対して、素直に好感が持てずにいる

そもそも世界一の美女なる肩書きは、とりあえず男が無条件に庇い立てするので、後世に株が上がるばかりで、相手役のパリスは美男と言うのもあって、無駄に貶められるコトになる

ヘレネーの双子の姉クリュタイムネストラは、母レダが産んだ同じ【卵】から生まれるも、美貌のヘレネーとは似ておらず、残念な容貌だったらしいが、常に世界一と比べられてしまうのは、不憫としか言いようが無い

いや、クリュタイムネストラは、その容貌がどうかなんてどうでもよくなる程に、その生涯は悲劇に満ちてて、女としてのありとあらゆる不幸に身をやつしてた

夫のアガメムノンを殺害した悪女の汚名を着せられてるが、それによって実の娘や息子に父の仇と見做されて殺されてしまうし、そもそもアガメムノンの方が先に、クリュタイムネストラの夫を謀殺してて、代わってミュケナイ(ミケーネ)王に収まったのだし、その際には乳飲み子だった息子も当然殺されてる

そこで夫と息子の仇であるアガメムノンに凌辱され、3人の子供を産むに至ったのだが、恐らく長女のイーピゲネイア(イフィゲーニア)は前夫の子だったか、大事に育てあげたトコロでトロイア戦争勃発

嵐に苛まれて出帆できずにいたギリシア軍は、生贄を捧げてようやく出航するが、その贄とされたのがイーピゲネイアだったときたら、贄にするコトを決定したギリシア軍総大将のアガメムノンに、クリュタイムネストラが殺意を抱かずにいる方が不思議でしょうよ

夫と息子を殺され、殺した男に凌辱され、娘まで贄にされ、その復習をしたら娘と息子に殺され、ギリシア神話の登場人物の中で悪妻だと罵られるとはね

かたや双子の妹ヘレネーは、9歳の娘を残して駆け落ちして、それが原因で1つの国が滅んだというのに、絶世の美女と謳われるのだから、世間は・・・世の男たちはなんて美女に甘いのだろうかね

そしてクリュタイムネストラの悲劇的な生涯に対して、女は同情を禁じ得ないだろうが、男は興味さえ抱かぬのだろうし、それで女がヘレネーを非難すれば、男は美女へのやっかみにしか聞こえぬのだろうから、なんとももどかしい!

そのもどかしさが解消されて、ヘレネーはこんな女だったろうと溜飲が下がるのが、山岸凉子の『黒のヘレネー』で、1979年に花とゆめに掲載されてた作品

今まで何度も文庫化・単行本化してて、以前、持ってたのはあすかコミックス(記事トップの画像参照)で、今、手元にあるのは1984年に白泉社から出た、山岸凉子作品集【9】黒のヘレネー傑作集《3》

収録内容は以下の通りで神話や伝承に因んだタイトルが殆どなれど、内容的にもその元の物語自体を扱ってるのは、『黒のヘレネー』のみ

  • ウンディーネ
  • シュリンクス・パーン
  • 黒のヘレネー
  • パニュキス
  • キメイラ
  • グール
  • 愛天使セラピム
  • ストロベリー・ナイト・ナイト

クリュタイムネストラによる夫アガメムノン殺害は、『黒のヘレネー』では彼女一人によって行われてるが、実は共犯者がいて、それが彼女の愛人だとされてるのも、悪女の汚名を決定付けてしまっただろう

しかし10年も戦争しに行ったきりの夫に代わって、国政を取り仕切ってたのは誰だったのか?それは王妃であるクリュタイムネストラと、彼女の右腕となって尽くしたアイギストスであり、殆どの働き手の男らも王と一緒に戦争に行ったきりで、圧倒的に人手が足りない中で、どうやって国民を養ってたのか?それは彼らに従って懸命に働いた国民の総意だったに違いなく、王の居ぬ間に客人の王子と駆け落ちしてしまったような、不埒な女と一緒くたにされるのはどうかと思う

このジョン・コリアによる「クリュタイムネストラ」は、まさに国民を護るために立ち上がった王妃の決意が漲ってて、男にちやほやされる愛らしさとは程遠い、雄々しい美しさに満ちてる